糸川英夫(1912~99年)は「日本の宇宙開発の父」といわれる。探査機「はやぶさ」が到達した小惑星「イトカワ」にその名が残る。戦後、彼を中心に国産ロケットの研究が進められた◆戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計者の一人で、後に東大教授になる。米国での見聞をもとに「超音速、超高速で飛べる飛翔体(ひしょうたい)を作り、太平洋を20分で横断しよう」とロケット旅客機構想をぶち上げた。しかし敗戦後すぐの日本。ロケット開発への協力会社を探すが、色よい返事はない◆パナソニック創業者の故松下幸之助にいたっては「糸川先生、そんなもん、もうかりまへんで。50年先の話や」とにべもなかった(的川泰宣著『やんちゃな独創』)。それでも糸川らは昭和30年、直径1・8センチ、全長23センチのペンシルロケットの水平発射実験を成功させる◆その後の開発の展開は目覚ましかった。今回また新たな歴史を刻む挑戦があった。北海道大樹町の宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」が自社開発の小型ロケットを打ち上げた。日本初の民間の単独開発ロケットだったが、宇宙は遠かった◆だが、大きな一歩で価値ある失敗といえる。糸川も挫折を重ね、国家プロジェクトでも成功ばかりではなかった。年内には打ち上げ再挑戦だそうだ。この一歩が必ず次につながるのだから、下を向くことはない。(章)

このエントリーをはてなブックマークに追加