ろくろに向かう村島昭文さん。「修業した技を使うのは幾つになっても楽しい」と80歳を越えてもろくろに向かう=有田町の昭文窯

「手作りならではの品格ある有田焼を作り続けたい」と話す村島昭文さん

 回転するろくろ台に置いた粘土が、リズミカルな手の動きとともに次々に姿を変える。さほど力を入れているようには見えないまま、無造作に置かれた塊が円筒に。さらに右手に持ったへらを当てると先端が広がり、瞬く間に皿が仕上がった。

 「ろくろの前では無心になるだけ。体が勝手に動くから」。15歳から60年以上かけて全身に染みこませた技を、誇るでもなく淡々と語る。

 中学卒業と同時にろくろ職人の見習いになった。幾つかの窯元で技を磨き、24歳で深川製磁に入社した。当時の深川明社長からかわいがられたという。表に描いた花の絵が裏側から透けて見えるほど薄く仕上げた茶わんを見て「めったに職人を褒めない社長が褒めていたと、工場長から聞いた。でもそれから、難しい注文ばかり来るようになった」と振り返る。

 同社では宮内庁に納める食器類も手掛けた。大きさや重さに細かい指定があり、均一に仕上げることを求められる。大きさを体で覚えるために何度も試作を重ね、一気に50個、100個と作り上げる。「1000個といわれたら1000個、同じに作ることができる。それが職人だから」と自負する。

 修業を始めたころ、先輩の細工人(有田のろくろ職人)から「有田にいて恥ずかしくない職人になれ」と何度も言われた。その言葉は美術工芸品としての有田焼を支えた職人のプライドと感じている。「昔の有田焼には手作りならではの品格があった。それを今の世によみがえらせたい」と力を込める。

 品格は「紙一枚ほどの角度や厚さの違いで、出たり消えたりする」と語る。品格を出すためには、「幾つも幾つも作って、職人の目と腕を鍛えるしかない」。

 80歳を越えた今も、ほぼ毎日ろくろ場に立つ。20年以上続ける勉強会で指導するためだ。生徒はほとんどが窯元に勤める。勤務の都合に合わせて、柔軟に対応するうちに、「いつのまにか毎日になっていた」と笑う。先人たちが磨き上げた技を「次の世代に伝えることが一番の大仕事」と意欲を見せる。

 勉強会の傍ら、近年はろくろを使って人形やえとの置物作りにも取り組む。「ろくろの技でどこまでできるか、これからも挑戦していきたい」

 むらしま・あきふみ 1935年有田町生まれ。1959年深川製磁入社。宮内庁に納める食器製作に携わる。78年一級技能士。79年伊万里・有田焼伝統工芸士(ろくろ)認定。82年日本工芸会正会員。99年深川製磁退社。昭文窯=有田町大樽。電話0955(42)3675。

=400年を支えて=伊万里有田焼伝統工芸士(81)

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