田中さんが唐津工高2年の時に、金鷲旗柔道全国大会で山下泰裕さんを擁する東海大相模高に善戦したことを記念して作られた飾り皿。今でも当時の仲間が集まると話題になるという

陶磁器を飾る棚。田中健次さんが自宅をリフォームしたときに作り、これまでに集めた杯洗や杯台、ぐいのみなどの酒器が並ぶ

田中健次さんがもつ鍋やキムチ鍋、湯豆腐など鍋料理をする際に欠かせないという鍋。家族で13年使っているが、丈夫で重宝している=伊万里市波多津町の自宅

■陶器の鍋 食卓から家族見守る

 この有田焼の鍋は、冬になると出番でね。有田警察署(現有田幹部派出所)に赴任していた13年前にいただいたもので、家族でずっと使っている。当時、小学生で食べ盛りだった息子3人にもつ鍋を作ると、締めのチャンポンの麺まできれいに平らげていたよ。とにかく頑丈で、今もひび一つ入っていない。

 焼き物にまつわる記憶は幼いころからある。小学校に上がる前、有田焼の行商の人が近所に来たとき、漫画のキャラクターの絵が付いた茶わんを母が買ってくれた。うれしくてすぐに使おうとしたら、母が茶わんを鍋に入れてしばらく沸かすんだよ。割れにくくするためだったのかな。すごく待ちわびたけれど、この茶わんで食べたご飯がとてもおいしくてね。どういう訳か今も鮮明に覚えている。

 大学卒業後、警察官になり、先輩たちと酒を飲んでいたときに「杯洗(はいせん)」という言葉を初めて耳にした。酌み交わす杯を洗いすすぐための器と教えてもらい、酒器にもいろんな種類があることを知ったよ。杯を載せて客に勧める「杯台」とかね。器をよく見ると形や模様が複雑で、手間をかけて作ったんだろうなって素人ながらに思って、焼き物への興味が膨らんでいった。

 それから焼き物の骨とう品を集めるようになった。フリーマーケットなどでじっくり品定めをして、店の人と値段の交渉をしたり、豆知識を得たりするのが楽しい。妻は結婚するまで、私の趣味が焼き物ということは知らなかったと思う。収集ばかりするから、あきれているだろうね。ただ、食器を使ってくれると、買ってきたかいがある。

 14年前に自宅を改築したとき、居間に酒器を飾る棚を設けた。息子たちはそのころ小学生で、やんちゃだったけれど、器に触れて割ったという記憶はない。子どもながらに親が大事にしていると思って、気を遣っていたんじゃないかな。

 有田焼の陶器の鍋が食卓に加わったのも同じころ。この鍋を家族で囲むだけで何となく楽しく、団らんのひとときになっていた。長男はもう23歳の社会人で、次男も大学進学で家を離れた。こうして月日が過ぎ去っていく中で、この鍋がずっと家族を見守ってきてくれたような気がする。

 酒をたしなむようになった息子が缶ビールを開けて、そのまま口にするときがある。今の若者にはそれが当たり前かもしれないけれど、せっかくなら器に注いでほしいね。いずれ焼き物ならではの味わいを知って、酒器を譲れる日が巡ってきたらうれしい。

=余録= 激闘の証し

 田中健次さんの「お宝」に1枚の白磁の皿がある。唐津工業高校時代の1975年、柔道の金鷲旗大会に出場した記念に作られた有田焼の品。表に記された対戦相手の「山下」は、後のロサンゼルス五輪で金メダリストになった山下泰裕さんだ。

 唐津工高は強豪の東海大相模と対戦した。勝ち抜き戦で、大将の山下さんに出番はないと思われていた。田中さんらは「山下を引きずり出せ」を合言葉に、副将戦まで引き分けで食らいついた。大将戦で最終的に敗れはしたものの、会場は沸いたという。

 当時の監督が、ひるまずに戦った選手たちをねぎらい、この皿を贈った。トロフィーでも盾でもない焼き物が、41年の歳月が流れても色あせない、激闘の証しになった。

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