「『おはよー』。お母さんが声をかけても、元気に《おはようごさいまーす》と返す子は、まれです。黙っていたり、口の中でもごもごいうだけの子が多いのです」-。北村薫さんの小説『月の砂漠をさばさばと』(新潮文庫)は、9歳のさきちゃんとお母さんの物語。さきちゃんの学校は、保護者が交代で<旗振り>をする◆先週、島根県益田市で痛ましい事故が起きた。子どもたちの登校を見守ってきた三原董充(ただみつ)さん(73)が、突っ込んできた軽トラックにはねられて亡くなった。見守りボランティアの一員として10年以上前から、子どもたちに寄り添っていたという◆今回の現場近くで三原さんは30年ほど前、当時7歳だった次女を交通事故で亡くしている。「代わってやれるものなら」と繰り返し思っただろう。はねられた後、まだ意識があった三原さんは、一緒に事故に巻き込まれた3年生の男の子に「大丈夫か」と声をかけたという。けがをした姿に、娘の面影を重ねたのかもしれない◆冒頭の小説では、さきちゃんが学校から帰ると、ポップコーンを菓子鉢にあけて親子でおしゃべりをする。「今朝ね、旗振りの時…」と、穏やかな日常が繰り返される◆三原さんをはねた軽トラックは酒気帯び運転だったという。かけがえのない日常がまた断ち切られた。どうにもやりきれない。(史)

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