江戸時代の古地図を示しながら塩田の跡や今も残る道を探索する子どもたち=伊万里市瀬戸町

 伊万里市牧島地区で江戸時代に栄えていた製塩業について学ぶ「牧島っ子夏休み地域子ども教室」(牧島地区まちづくり運営協議会主催)が1日、同市の牧島公民館で開講した。初回は当時の古地図を手にかつての海岸線をたどり、塩づくりにゆかりのある神社などの史跡を探訪。参加した子どもたち20人は、郷土の知られざる歴史に目を輝かせた。

 佐賀藩は成立当初は塩を他国に依存していたために塩不足に悩まされ、藩祖・鍋島直茂が1608年、福岡藩主の黒田長政に頼み込んで製塩技術者を招いたとされる。技術者は牧島地区と長浜(東山代町)に移住し、やがて良質な塩が生産できるようになった。

 一行はまず、技術者が心のよりどころとして創建した志賀神社に到着。案内役の市教育委員会の船井向洋文化財専門委員が、塩田造成に携わったとされる成富兵庫茂安を後に合祀(ごうし)した歴史を紹介した。塩竈神社では明治の終わりに塩が専売制となったために製塩業が廃れ、かつての塩田を水田に変えていく先人の苦労を学び、田畑の境界や水路の石垣には塩づくりで使っていた石釜が再利用されていることも確認。戦時中に旧日本陸軍が塩を再び作るために建てたと言われるれんが造りの煙突も見た。

 牧島小4年の木須勝太君(10)は「こんなにたくさんの塩を作っていることに驚いた。江戸時代の地図に書いている塩田があった場所は今の景色と全然違って面白かった」と話した。

 教室は24日までの全5回で、波多津町の塩づくりの現場見学や塩を使った理科実験などが予定されている。

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