戦没者の遺骨収集に奔走してきた塩川正隆さん。見つかった遺品(手前)を保管し、遺族に返還する橋渡しもしてきた=三養基郡みやき町

■72歳、衰え感じNPOも解散へ

 アジア・太平洋戦争の戦没者の遺骨捜しや遺品の返還に取り組んできた塩川正隆さん(72)=三養基郡みやき町=が活動を終える。沖縄やフィリピンで収集を重ねてきたが、心身の衰えを感じ、理事長を務めたNPO法人の解散も19日の定期総会で提案される。「二度と戦争を繰り返させない」。その信念で向き合い、国による遺骨収集の実現にも奔走した40年だった。

 塩川さんは、父親の政満さんを沖縄戦で、叔父の清隆さんをフィリピンのレイテ島で亡くした。政満さんが戦地から送ってきた約30通のはがきが手元に残っている。「正隆を一目見度(みた)い」。この言葉が塩川さんを突き動かしてきた。

 沖縄での戦跡調査をきっかけに、自営業の傍ら1977年から戦没者の遺骨や遺品捜しを始めた。2002年には戦争体験者らとともにNPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会(現・戦没者追悼と平和の会)」を立ち上げた。

 冬に沖縄、夏にはフィリピンに足を運び、追悼や遺骨収集をした。若い世代に肌で戦争を実感してもらおうと、05年からは沖縄で「遺体収容の旅」を企画。10年間で約340人が参加し、100柱の戦没者を収容した。遺品返還の橋渡しや、旧日本兵の埋葬記録を米国から入手する活動にも力を注いだ。塩川さんは「やることはやった。多少なりとも戦争で犠牲になった人たちのお役に立てたのではないか」と振り返る。

 活動を共にしてきた沖縄戦の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(63)=那覇市=は惜しみつつ、「国が本来すべきだった活動を率先して担い、肉親だけでなくほかの犠牲者にも心を寄せてきた」とねぎらう。

 厚生労働省によると、第2次世界大戦の戦没者で未収容の遺骨は約113万柱。昨年4月には遺骨収集を「国の責務」と位置付け、一層推進することを目的にした「戦没者遺骨収集推進法」が施行された。

 収集を国に働き掛け続けてきた塩川さんは「やっと重い腰を上げてくれた」と話す。戦後72年が経過し、遺族は年々減少している。「証言も得られにくくなるし、遺骨は奥地に存在したりしてすぐには見つからない。簡単にはいかないだろう」と指摘する。

 探し続けた父親や叔父の遺骨は発見できていない。それでも、かすかな望みは抱いている。「国の収集やDNA鑑定が進んで、おやじたちの骨が見つかり、納骨堂に一緒に納められればうれしい」

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