人はいつまで裁かれ、罰を受けなければならないのか。インターネットの検索技術が飛躍的に高まる中で、ネットに残る過去の個人情報の取り扱いが議論されている。更生のためにプライバシーを優先して削除すべきか、表現の自由や知る権利に重きを置くべきか。日本でも裁判所の判断をきっかけに「忘れられる権利」の本格的な議論が始まった。

 きっかけは児童買春の罪で逮捕され、罰金刑を受けた男性の訴えだ。検索サイトのグーグルに、逮捕事実が検索結果に掲載され続けたために「平穏な生活ができない」と削除を求めた。

 さいたま地裁は、欧州で認められた「忘れられる権利」に初めて言及してグーグルに削除を求めたが、二審の東京高裁は「表現の自由や知る権利への影響が大きい」と一審判決を棄却した。

 最高裁が先月示した判断も高裁判決を支持したもので、「社会的に強い非難の対象の罪で、公共の利害に関わる。公表されない利益が明らかに優越するといえない」と削除を認めなかった。

 ただ、プライバシーの保護と、情報を公表する利益とを比較衡量すべきと指摘し、今後はケースに応じて個別判断するように求めている。デマなど間違った情報は削除しやすくなったとも言える。

 最高裁が慎重な判断を示しているのは、世界的に見れば統一的な見解がないからだ。伝統的にプライバシー保護を重視する観点から「忘れられる権利」を認める欧州と、憲法でも表現の自由や知る権利に重きを置く米国では考え方が異なる。

 「忘れられる権利」の議論は日本では始まったばかりで、性急に答えを出せないということもあるだろう。プライバシー権や名誉権で、十分に個人を保護できるという司法の考えもある。

 もちろん、ネット上の人権侵害は軽視できる問題ではない。刑期を終えるなど一定期間が過ぎた後でも実名が検索できるようでは、当事者の社会復帰や更生を妨げる。就職や結婚にも影響は出るだろう。子どもを含め、親族まで及ぶこともある。そこまでの社会制裁は許されないはずだ。

 一方で、「忘れられる権利」を理由に過度なネットへの介入を認めれば、検索会社側は賠償請求などを恐れ、一切の検索ができないように削除する恐れがある。それでは教訓として残すべき事件の概要さえ分からなくなり、過去を消すことにもなる。その問題点を踏まえた上で、「忘れられる権利」と「表現の自由」のバランスを考えるべきだろう。

 佐賀新聞社では昨年4月から殺人などの重大事件や政治家・官僚など公人が関わる犯罪を除き、容疑者は紙面上で実名であっても、ネット上では匿名表記とし、人権上配慮している。ネット情報は一度コピーされれば、永久に名前が残るリスクがあるためだ。

 ただ、報道機関として実名報道を重視し、警察や行政機関に実名発表を強く求めるスタンスは変えない。安易な匿名化を認めれば、真実の検証は難しくなり、権力側が不都合な事実を意図的に隠すことにつながりかねない。

 「忘れられる権利」は人権保護の視点だけで考えるべきで、公人の不祥事は再発を許さないためにも忘れてはならない。(日高勉)

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