家学(かがく)というものがある。家に伝わり、修めてきた学問を言うが、亡くなった詩人の大岡信(おおおかまこと)さんの場合は、父が歌詠みであったことから短歌がそうだった◆中学時代に短歌を作ることから詩の世界へ入った。そのことが一生を規定する。「基本にいつも五七あるいは七五のリズムが横たわっていて…」。エッセーに記しているが、若い頃はそれを押し殺さなければ現代詩は書けないと悩んだ時期があった◆しかし、それが和歌にも通じた幅広い古典文学の教養を獲得することになり、長く続いた新聞連載コラム『折々のうた』にもつながっていく。出発は意外にも批評家としてだった。まだ22歳。その評論『現代詩試論』には「詩について散文で語ることは至難である」とある◆現代詩の創作の傍ら、その至難に挑むように日本の古典文学を斬新な視点で再評価した。あふれる感性と鋭い知性の結実である。終戦時は旧制中学3年生。日本語の不思議さに目覚めさせられたきっかけがある。「日本が負けたのは日本語が駄目な言語だからだ、外国語に、例えばフランス語に切り替えた方がいい」。作家の志賀直哉の言葉だった◆反発するように日本語が豊かな可能性を持った言語であることを信じてきたと自著に書いている。日本語とふれあう喜びを体現し、世に広めた伝道師としての生涯だった。(章)

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